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8月15日 [薪棚・昔の話、未来の話]

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1945年の8月15日から70年が経過する今年の今頃は、何だかいつもの今頃より喧しいと感じるのは私だけだろうか。

いろいろな話題が取り上げられているが、毎年この時期にこのブログで述べているように、いろいろな意見が出されると良いと思っている。少数の意見が大多数の意見に押し潰されることのないよう、皆が寛大な気持ちになって自分と異なる意見にも耳を傾け、そしてぶつけ合うと良いと思う。

krause


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毎年やってくる8月 [薪棚・昔の話、未来の話]

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最新の「満鉄会報」です。 
「訃報」欄が小さくなってきているのは、満鉄会会員数がかなり減ってきているからかもしれません。

8月になると、広島、長崎、そして8月15日の終戦と、先の大戦を考える月になります。相変わらず中国・韓国とは摩擦が多く、困ったものですが、いろいろな新事実が判明してきているのは良いことだと思います。

ムラの組合員に新盆が出来たので、15日晩にその家に集まります。その家とは、ムラのお寺です。
先代の住職の奥さんが昨春亡くなりました。今はもう嗜まなくなりましたが、先代の住職は酒豪でヘビースモーカーです。ムラの寄り合いの時に、住職の隣に座ると、殆ど宿酔をしたことの無い私ですが、翌日はいつも大変なことになってしまい、夕方になってやっと少し回復している次第です。住職の学生時代は、ムラから6km近い距離を徒歩で最寄りの駅まで行き、汽車に乗って都内の大学へ通ったそうです。最寄駅から東京の両国駅まではまだ駅数も乗客も少なく、ムラから都内へ通っている人も私の祖父を含めても何人もいませんでした。新盆では、先代の住職から、いろいろな話しを聞けるのが楽しみです。

krause


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中学時代の同窓会(その4) [薪棚・昔の話、未来の話]

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殆どの出席者は、この宴がとてもたのしいのでしょう。3時間が過ぎても誰も疲れを見せず、いくつかのグループに分かれ、いろいろな話で盛り上がっているようです。

この時間になると酒の減りが緩やかになってきますので、酒好きの友人たちと焼酎の甕を自分たちのテーブルに担いできて、更に飲み続けます。蛇口(コック?)を捻れば欲しいだけの美味しいストレートの焼酎がいくらでも出てくるので、これは素敵な宴会!とやっと宴が楽しくなってきました。
 
そして4時間も過ぎる頃、やっとお開きということになり、2次会はカラオケボックス、3次会は同級生が経営するスナック、そして4次会は朝5時までオープンしている居酒屋(チェーン店)へ傾れ込みました。2次会・3次会と進むにつれて、耐久レースの如く脱落していく者がでてきますが、最後の居酒屋でも10数名は残りました。しかし、2名は熟睡しています。50台前半の飲み会としては、ちょっぴりだけハードだったのかも知れません。もうこの時季にはお日様が昇っている朝5時近くに解散となりました。

カラオケは演歌がデフォルトのようですが、私はその場を壊すように自分の好きな歌を勝手に歌います。仕事も趣味も、物事に対する考え方も最早何一つ共通するものがないのに、互いに干渉し合わずに寛容になり酒と会話を楽しむのも心地よい、それに教員たちもいなくなりもっと楽しくなってきました。しかし、ただ酔っているから楽しかったのかも知れません。

同窓会は、出席した殆ど全員の同級生達にとってとても楽しいものだったようです。同窓会が終わってからの数日間は、いろいろな友人達から、「また呑もう!」コールが頻繁にかかってきました。「何言うんだよ。今までだって毎月が同窓会みたいなものだったじゃないか。」とは言いながら、彼らの嬉々とした上擦った声に私も少し嬉しくなります。

良い思い出が少ししかない中学時代ですが、友人達には恵まれたと思っています。

また同窓会をやろう!という声でかなり盛り上がっています。しかし、私はやっぱり今回同様、迷わず「欠席」の葉書をだします。気心知れた友人たちとは会いたいときに会えますし、あの頃よりも「自分のことは自分でコントロールできる」今の生活の方がずっと気に入っているからです。しかし、友人たちの策略により、結局はまた出席するはめになるのかもしれません。素敵な友人たちの策略ですから、それも甘受すべきなのでしょう。

これで同窓会の話は終わりです。お付き合いをありがとうございました。私自身もブログを書いていて、少しずついろいろなものが整理できていました。

krause


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中学時代の同窓会(その3) [薪棚・昔の話、未来の話]

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宴は実際、成田市内の料亭で行なわれました。立派な建物でしたが、もう旬が過ぎてしまった古さは否めなく、バブルという時代から随分遠ざかってしまったことを感じます。しかし、レストランを経営する親友の知人の店なので、料理は価格からは考えられないような最上のものが用意されていました。酒も、割高な九州の焼酎が甕で何本も用意されています。

通常、宴は2時間程度ですが、この日は延々4時間も続きます。友人何人かと誘い合わせて、駅前のモツ屋へ行く算段をしていたのですが、段々腹一杯になり、行く気も失せてきました。

教員たちの自己紹介が終わると、生徒達の自己紹介が始まります。中学時代にはもじもじしていた輩たちも、きちんと人前で話しができるように成長しています。

友人のうち、女性好きが幼少の頃より染みついているのが数人いて、彼らは女性達ととても楽しそうに歓談しています。

建築業や土建業で大成功を収めた数人の悪たれたちは、久々に都内から北総に戻ってきても、同業の仲間達で仕事の情報交換をしています。学校を終えるとすぐに地元を離れ、一本立ちして立派に仕事をしている彼らは何にでも自信がありそうですが謙虚です。この悪たれのうちの2人が、今日出席していた教員の一人(当時23歳くらいだった、そして、私の先輩の同級生)、を当時から好きだった、と告白にいくと、「当時は、高校時代の先輩と付き合っていて、あんたたちなんか眼中になかったわよ。」と撃沈。それにしても、この教員ももう少し粋な答え方ができなかったものだろうか、と残念な気分になりました。撃沈した2人は、都内の荒波をくぐってきた強者、そんなことにめげずにその教員と一緒にたくさん写真を撮っていました。

3年の秋に転校してきて、数ヶ月しか同級生として過ごさなかった、O君の出席は、皆を悦ばせました。彼は、都内の名の知れた大学を卒業後、上場企業(メーカ)に就職しています。しかし、彼が喫煙するのが不思議でした。今日の喫煙率は非常に高く、私以外は殆どが喫煙者でした。(その後、家に帰って息をすると、私は燻製にされているようでした)。

宴は更に続いていきます。そして、私は座り心地の悪い宴に耐え続けていきます。

krause


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中学時代の同窓会(その2) [薪棚・昔の話、未来の話]

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集合時間は最寄りのJR駅に16時、そこから宴会場へ迎えのバスでむかうことになります。

16時まで時間があるので、少しのコメと野菜を土産に、府中に住んでいる親友を車で迎えにいきます。中学時代には、彼の家によく泊まりに行き、夕食を食べさせてもらった恩義を今でも感じているからです。どうしようもない不良だった彼も今では何人もの社員を抱える立派な建設会社の社長です。

その親友を連れて家に戻ると何人かの友人から電話があり、まだ集合時間まで小一時間あるので家まで来てもらって皆で拙宅の庭で、椅子や切り株に座って焼酎のロックを飲み始めます。いつも顔を合わせているメンバーです。

集合時間になり、駅へ向かうと(酒を飲まない人が運転)、もう何人か来ているようです。私たちはもう、良い気持ちに酔っています。バスは約束の16時を数分遅れで到着しました。

25歳くらいの頃に一度同窓会をしているので、今回は27年ぶりの顔合わせです。皆、それなりに老けてはいますがあまり変わりないようです。教員たちは、老けて小さくなってきているように感じました。



会場に到着後、乾杯をし、宴が始まると教員たちから近況報告のスピーチが始まります。

集まった同級生達は、「中年から初老」、といった風貌になり、皺と白髪が目立ちます。成績優秀な友人達は、平凡に役所・会社勤めをし、安定した生活を確保しているようです。あまり勉強に興味がなく先生たちを困らせていた友人達は、経営者になって人から頼られるなった者、手に職を付けて仕事に没頭している者、などさまざまです。あまり大きな失敗をした者はいなそうです。しかし、残念ながら、何人かは亡くなっていますが、その話題はでません。

宴は続いていきます。

krause


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中学時代の同窓会(その1) [薪棚・昔の話、未来の話]

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*このポスターは、ドイツでの展示会で出展されていたものです。勿論、日本製ではなくドイツ製です。


先週末に中学校の同窓会がありました。

どうやら、中学時代に教わった教員たちが私の親友のレストランをたまり場にしているらしく、そこから同窓会への話に盛り上がっていったようです。

そしてその親友が、幹事をするはめになり、往復葉書に書かれた不器用な案内状が何とも温かく感じました。私は、高校時代のことをブログに書かないようにしていますが、北総の辺境の中学校で悶々と過ごした思い出を掘り返すのもやはりとても苦痛に感じ、5月の欧州出張を理由に断りの返事を出しました。それに、私のような生徒を、教員達がとても扱いにくく思っていたことも肌で感じていましたので、彼らに会うのも億劫でした(彼らのうちの何人かは、今でも頻繁に付き合いのある私の先輩(親友に近い)の友人なのです)。

そこからが大変です。友人たちから出席要請の電話が頻繁にかかってきます。そして、幹事はとうとう私の欧州出張日程に合わせて同窓会の日程を変更してしまったのです。仕方がありませんので、私は折れる形で出席する羽目になります。

*私は、現在でも定期的に10人以上の中学時代の友人達と会っており、同窓会に新鮮味はありません。

ーづづくー

krause


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房総・サーフィンのことなど [薪棚・昔の話、未来の話]

仕事上の訪問先に千葉県内は少ないのですが、先日、京葉工業地帯・房総方面から出張要請がありました。

昨年辺りから仕事に忙殺され、房州へ行くことすら考えていない最中の、嬉しい出張です。高校時代は、毎月のように学校をサボっては単車で房州へ行って時間をつぶしていました。大学に入り、サーフィンに没頭するようになってからは、早朝から海に入り、授業に合せて海から上がっていました。当時、クラウンディーゼルの中古を安価で入手していたので、燃料費はあまり掛かりませんでした。現在もディーゼル乗用車に乗っていますが、あの頃のクラウンより5割も燃費が伸びています。

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 京葉工業地帯での仕事を終えると、館山まで高速道路で移動します。以前に比べると、びっくりするような短時間で房州の南端まで行くことができます。洲崎の手前で、中学校時代の親友が学んでいた「館山海員学校」を通過します。このエリアは、35年前からあまり変化がないようです。

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洲崎まで来ると、改装されて洗練された雰囲気になった「風の抄」を見ながら、洲崎神社へ一礼し、野島埼方面へ向かいます。この時季の平日は、車が殆ど通りません。

何度か入ったことのある平砂浦のサーフポイントは、波のコンディションが良くないせいか、殆どサーファーがいません。フラワーラインのこのエリアも、昔からあまり風景が変わらないのが嬉しいです。

野島埼を過ぎて千倉に入り、「潮風王国」に立ち寄ろうとしたら、改装中でした。山口マオ氏のショップがあるので時々立ち寄っています。

千倉・瀬戸浜のサーフポイントもサーファーをあまり見掛けません。私が、波乗り現役の頃に、瀬戸浜沖に、海中防波堤を設置してから波室が悪くなったようです。海中防波堤の出来る前にの瀬戸浜のポイントは、世界一気に入っていたので、残念です。浅井愼平が、「世界一きれいな海」と行っていた千倉の海、私も同感でした。

千倉から、和田を抜け、鴨川の赤堤はスキップして、亀田病院の前のポイントを覗いてみますが、波質が良くないのか、サーファーは、居ませんでした。

新しくできた(といっても(随分時間は経っています)バイパスのいくつかを抜けて、勝浦の松部を覗き込んでみると、少し波が立っていますが、誰もいません。そして、トンネルを抜けてマリブ(串本海岸、串浜?)も、今日はNGのようです。マリブもお気に入りのポイントでした。そこから、今は無料になった勝浦有料道路を抜けて、部原海岸を通過します。駐車場が整備されきれいになりました。ここは、サーフィンの世界大会が開催されるだけあって、きれいな海岸です。酒井法子の別荘があったことで有名なサーフポイントでした。

そこからサンシタを覗かずに、御宿を抜け、山越えをして岩船に行きます。上の写真が、遠目にみた岩船です。山を刳り抜いたトンネルを抜けると、断崖絶壁の真ん中にでて、そこから下って海岸へ行きます。まだビギナーの頃に入って、とても緊張したポイントです。砂浜が断崖絶壁の下に三日月状にあり、海に向かって左右のどちらに流されても、大変なことになるポイントです。現在は、このトンネルが閉鎖されて下りていけなくなっています。滑落事故が絶えなかったことが理由のようです。このエリアの海は、潮の流れが速くいつも波立っていて、殺伐とした風景ですが、なぜかとても気に入っています。

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岩船を抜けると、暫くは内陸の未知を走ります。大原当りも覗きたかったのですが、車幅のある車で移動しているので億劫になってしまいました。

大原を通過し、夷隅川の河口を見ようかと思いましたが(直線の良い道路ができた)、なぜか気が乗らず、そのまま通過します。夷隅川の河口には、かつて森鴎外の別荘があり、鴎外もエッセイで、「甘い水と辛い水の交わる場所、夷隅。地元の人たちはそこには近寄らない」というような表現をしていますが、河口は移動し、鴎外の見た河口よりも現在は北に移動しているようです。 

夷隅を過ぎるとまもなく太東岬近いにでます。サーフポイント「太東」はフラット、波がありません。ここから、志田下を遠目にみて、東浪見に立ち寄ろうとしたら、工事中のため通行止めでした。

東浪見を過ぎると、一宮海岸です。私がサーフィンに通っていた頃からテトラポットを入れ始め、現在では立派な堤防が出来上がっています。

ここから波乗り道路に乗って片貝へ北上します。上の写真が片貝海岸です。北総から近く、私が一番頻繁に通ったポイントです。地元とうまく付き合うために、当時は、SEQUENCEのサーフボードを入手しました。あれから30年経ちますが、サーフショップ「ラ・メール」は、まだ健在だったのが嬉しいです。しかし、県と摩擦があったのか、当時は重宝していた海の家が、全て撤去されいました。上の写真が海の家があった場所です。房州を1周して片貝の風景が一番変わっていました。

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この写真も片貝のものです。天気図を見ればおおよそ波のコンディションは推察できましたが、 波が良くても悪くても頻繁に来ていました。あれから30年立ちますが、サーファーの雰囲気とファッションはあまり変わらないように感じます。あの頃と違うのは、ロングボードが増えたことかもしれません。私も機会あれば、ロングボードにトライしてみたいと思っています。

房州1周は、仕事絡みの出張でしたので、今度はプライベートでゆっくりと来ようと思っています。

krause

*急いで書いたためあまりに誤字が多く読みにくいので、修正しました。


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大学時代の教授との宴 [薪棚・昔の話、未来の話]

久々に大学時代の仲間数人と教授を囲み、宴を楽しみました。

人数が増えても対応が簡単だということで、中華料理を選択します。

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場所は、丸の内エリア、実は、私が一番便利なロケーションなのです。

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店は、都内に勤務する友人たちが選択してくれました。

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四川料理のようなものから北京ダックまで、いろいろ数多く量少なく、楽しめました。

先生は昭和元年生まれです。先生の「昔の話」も興味深いのですが、先生が過去の話をすることは希で、殆どは未来の話です。現代社会に対する洞察・分析力と、それを基にした今後の予測が極めて正確で、どの話も聞き漏らせません。先生もご高齢になり、頻繁に外出することも、私たちと会う機会も少なくなってきていることが残念です。日々仕事に忙殺され、いつの間にかじっくりと物事を考えることを怠っている私たちを諭すように興味深いいろいろな話をしてくれた先生に対し、ここに感謝申し上げます。


krause 

krause


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