英霊の聲 (三島由紀夫) [日本文学・本棚]
私にとっては難解な部類に入るが、じっくりと読むとやっと頭に入ってくる。
文章の強い迫力に美しささえ感じさせられる。何度も読み込まないと、とても感動など書けない。
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檸檬(他短編)梶井基次郎 [日本文学・本棚]
太宰も含めて、当時の私は、どうも日本文学を理解するのが苦手だった。その反面、登場人物や地名を覚えるは大変だったが、英米・中国文学読むのは好きだった。この「檸檬」についても、高校時代に、友人たちとの間ではいろいろな議論をしたが、実は良く理解できていなかったし、興味も湧いてこなかった。しかし、この年齢になって、さっと読み返してみると、著者・登場人物の心の動きや心理状態などが、あの頃よりは多少理解できるようになり、楽しめた。高校時代を振り返ってみると、「理解出来なかった」というより、理由もなくいつも何かに追われるように焦っていた、急いでいたその気持ちが、物事を深く考えることを妨げていたようだ。
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風立ちぬ・美しき村(堀辰雄) [日本文学・本棚]
私が、結核・脊髄カリエス、サナトリウムなどどいう言葉を知ったのは、堀辰雄の本を読んでからではないかと思う。どれも、身近にはない病気・施設だったので、具体的なイメージがわかなかったが、高原とサナトリウムという言葉の響きには、なんだか洒落た印象を持った(不謹慎ですね^^)。大学で国文学を教えている先輩によれば、明治・大正・昭和前期?頃の大学寮は、結核菌の巣窟だったということを聞いた。また、当時の結核は不治の病だったので、結核を考えるとき、世のはかなさととともに「生きることについて」も静かに考えたのだろう。
アマゾンの書評を読んでみると、「風立ちぬ」はリルケの影響があるらしい。いずれにせよ、当時の日本の国家組織の構築・いろいろな産業・芸術(絵画・文学)など、多くのものが西洋からの大きな影響を受けた。そして、それは現在に比べると、一方的に波のように押寄せてくるものだったのだろうから、堀辰雄の作品がそのような影響を受けていても不思議ではない。
感想は、情景描写が素晴らしい、この一言に尽きる。
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字のないはがき(眠る杯)、向田邦子 [日本文学・本棚]
盆休みに、東京都内の大学で国文学を教えている先輩と会った。
二人とも大酒飲みで、この日も北総のとある店で一緒に深酒をすることになったが、店があくまでまだ時間があったので、一緒に書店へ行き、いろいろなジャンルの本の背表紙をみては、その内容について話し合った。これが非常に楽しい一時だったのは、勉強や学問については、この先輩から受けた影響が非常に大きかったからだ。
向田邦子の話になったとき、先輩から貴重な話を聞いた。ひとつは、彼女の著作の「字のないはがき」が、随分前から中学校の教科書に載っていること、これは知らなかった。「字のないはがき」は、読んだことがあるが、どの短編集に入っていたのか思い出せなかったので、ネットで調べてみると、「眠る杯」に入っていたようだ。そして、もうひとつは、向田邦子の著作は、文書も素敵だが、脚本家だけあって、彼女の作品を映像化するととても映えること。彼女の全ての作品がそうではないのかもしれないが、この「字のないはがき」を事例に、まだよく字の書けない妹が、疎開先から出す、最初は「大きなO」のかかれた葉書が、だんだん「ちいさなO」になり、ついには、「X」のはがきになっていく、というこの流れを映像化すると効果的だという先輩の説明はとてもわかりやすかった。
今年の終戦記念日は、周囲を取り巻く国々との関係も含めて落ち着かないことが多かったが、戦時中の疎開について書かれたこの本を思い出して、私自身、少し頭を冷やせたような落ち着いた気持ちになった。
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ツエねずみ(宮澤賢治) [日本文学・本棚]
無名仮名人名簿(向田邦子) [日本文学・本棚]
兵隊やくざ(有馬頼義) [日本文学・本棚]
映画で人気のあった「兵隊やくざ」の原作です。
この映画は、シリーズとして私が小学生になる前から放映され、最後の「新兵隊やくざ火線」は、私が小学生の頃に地元の映画館で放映されていたのを記憶しています。その頃、どきときTVでも映画の「兵隊やくざ」が放映されていました。放映翌日には、学校へ行って兵隊やくざや勝新太郎の話題に花を咲かせました。成人してからも、ビデオやDVDを借りて「兵隊やくざ」を観ましたが、どうやら最後の作品の「新兵隊やくざ火線」は、ビデオ化されていないようです(大映が倒産したため、勝プロダクションの制作・東宝の配給になったことが理由のようです)。
映画版は何度も観ているので、原作を読んでみようと思い早速ページをめくってみましたが、テンポの速さ・ストーリー性など映画並みに楽しめる内容でした。この映画と原作は、「反戦もの」として考えて良いのか、完全な「娯楽もの」として考えて良いのか、ナゾです。私自身は、この映画と原作から当時の日本軍(陸軍)の問題点のいくつかを垣間見ることができました。それらの問題点とは、実際に当時の軍隊生活を送った人たちから聞いたものと同じでした。
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父の詫び状(向田邦子) [日本文学・本棚]
白い風船(遠藤周作) [日本文学・本棚]
遠藤周作ファンになるきっかけとなった本です。小学生(高学年)の頃に、国語の教科書に掲載されていたものを読みました。主人公の凡太は、小学生の男子で、「周囲にあるエキサイティングで不思議なできごとなどが、自分が成長するに従って、実は錯覚や思い違いだったことを知っていく」という単純なストーリーです。当時小学生だった私には、大人になることへの期待とともににある寂しさのようなものを複雑に感じさせられた作品です。最後のシーンで、白い風船が夕暮れ時に漂って消えていくのですが、ここで遠藤周作は、人は大人になることによって、「見えてくるもの」と「見えなくなってしまうもの」の両方があるのだということを示唆しているのでしょう。
残念ながらこの作品は、私の知り限り教科書以外の「本」としては当時も現在も出版されていません(講談社刊の「哀歌」1976年発行に収録されているようですが、未確認です)。そこで、いろいろ調べたところ、昭和44年の元旦の朝日新聞に掲載されていたものであることを知り、朝日新聞の縮小版を入手しました。現在もその縮小版は、私の手元にあります。
Krause
妄想(森鴎外) [日本文学・本棚]
「妄想」は、森鴎外の短編作品としてもあまり有名ではないと思います。この作品が、なぜ私に印象に残っているかというと、千葉県大原町の夷隅川河口についての風景描写があったからです。私がサーフィンをしていた頃の夷隅川の河口付近は、インパクトのある波が立ち、ここで楽しめるのは中級以上のサーファーでした(今も変わらないと思います)。夏場も遊泳禁止で波の高い日が多く海流の流れも急で、海の色も茶色く濁り、河口周囲の荒涼とした雰囲気、その安易に人を寄せ付けない畏怖の念を抱く風景が見事に描かれています。
*最近ネットで調べてみたら、鴎外が別荘(日在)を所有し滞在していた頃の夷隅川と現在の夷隅川では、流域が変化しているようです(現在の夷隅川河口は、その頃より北へ移動しています)。